ルートヴィヒ美術館展@国立新美術館

29 Aug. 2022

気に入った絵に対する感想を残しておきます。

Chapter1:ドイツ・モダニズム——新たな芸術表現を求めて

  • マックス・ペヒシュタイン『緑の家』:フォービズムを思わせる豪快で鮮やかな原色。
  • フランツ・マルク『牛』:青騎士メンバー。幾何的、平面的な画面はクレーを思わせる。
  • エーヴァルト・マタレ『眠る猫』:木彫りの彫刻。丸まった猫に顔はなく、耳によって猫とわかる。背中に黒ずんだ欠けあり。樹の節かなにか?
  • オットー・ディクス『自画像』:表現主義から古典画を勉強し、緻密で写実的な描写を会得した新即物主義の人。カンバスと窓の間にいる画家はモノクローム、難しい表情をしており、手に乗せた絵の具台には鮮やかな原色が並んでいる。自画像の中の画家が持つ絵の具台の絵の具は、この自画像を描いた現実の画家の絵の具と物質的には同じものであるものの、位置づけは異なる。カンバスに置かれた瞬間、その絵の具は絵画の一部となるのであり、メタ意識が読み取れる。画面手前の机の上に透き通ったガラス玉、その表面に窓が反射している様の描写が見事。こちらも画面・窓・ガラス玉とが絡み合い、メタ意識が読み取れる。窓の外から不穏な予感。
  • マックス・ベックマン『恋人たち』:新即物主義の人。キュビズム+表現主義。ふくよかな女が着ている衣服の黄色の鮮やかさが印象的。目とまつげの描写が可愛い(なんかゴールデンカムイっぽい)。『月夜のヴァルヒェン湖』:画面手前のゴツゴツとした荒々しい岩の描写にキュビズムっぽさ。所々盛り上がったように描かれる湖面に静かな動きを感じる。三日月が上がっている。美しい絵だが夜の底知れなさを感じさせる。新月の夜に暗闇の太平洋を前にして波音だけが聞こえてくるときの畏怖に近い。
  • アウグスト・ザンダー『菓子職人』:「20世紀の人間たち」というシリーズを構成する一枚。めちゃくちゃ好きな写真だ。
  • ホルスト・パウル・ホルスト『マンボッシェのコルセット』:写真。女体の輪郭の曲線と、骨と肉の陰影が美しく叙情的に捉えられている。
  • ヘルベルト・リスト『リカヴィトス』:マグリットっぽい写真。女性が自らの顔を隠すように鏡を持ち、こちらへ向けている。

Chapter2:ロシア・アヴァンギャルド——芸術における革命的革新

  • アレクサンドラ・エクステル『コンポジション(ジェノヴァ)』:抽象画時代初期のカンディンスキーを思わせる、太く曲線的な線画による抽象的な街。水彩画を思わせるほど柔らかく淡い色彩がカンディンスキーにはない特色か。
  • ナターリヤ・ゴンチャローワ『オレンジ売り』:これがロシア・アヴァンギャルドか! という感じでテンション上がる。
  • カジミール・マレーヴィチ『スプレムス 38番』:スプレマティズムとは絶対主義の意味。幾何学的な形、明確な色彩によってのみ絵画表現を行う。マレーヴィチ自身はイタリア未来派やキュビズムの影響を受けている。
  • アレクサンドル・ロトチェンコ『空間構成 5番』『宙づりの空間構成 10番(光反射面)』:一瞬ブルーノ・ムナーリを想起したが、あちらは機械であり、こちらは彫刻の一種である。『水への跳躍』:こちらは写真作品。高飛び込みで跳躍した選手を下から取っており、空を背景に背を丸め回転する選手の一瞬を捉えている。ロトチェンコは新しい写真技法を積極的に使い、人間の新しい視覚、視覚言語を構築しようとした。ロトチェンコについてはいずれ深掘りしたい。

Chapter3:ピカソとその周辺——色と形の解放

  • ヴラマンク『花と果実のある静物』:今まで持っていたフォービズムへの印象を越え、静物表面の光沢のある原色のみずみずしい鮮やかさが衝撃的。背景の深い青は透明感があり見入ってしまう。めちゃくちゃ好きな絵。
  • ピカソ『アーティチョークを持つ女』:これがピカソか! という感じでテンション上がる。
  • マン・レイ『レイヨグラフ』:印画紙と光源の間に物を置いて撮影する技法。鳥の羽のような影と、人の手、短い鉛筆の芯のような形の光が画面に散乱している。キュビズムが内包する無意識のイメージと共鳴する写真作品。

Chapter4:シュルレアリスムから抽象へ——大戦後のヨーロッパとアメリカ

  • ハンス・ウールマン『鳥』:軽快さを突き詰めたような金属彫刻。
  • K・O・ゲッツ『1955年3月6日の絵画』:黄色と黒によるコンポジション。塗った色が乾く前に次の色を重ねていく。たいへんかっこいい。画家は画家結社コブラと、クヴァドリガに所属。クヴァドリガは今後深掘りしたい。
  • ジャン・デュビュッフェ『大草原の伝説』:アメーバのようなおどろおどろしい有機的なブロックによって構成された五人のヒトの姿。インカ・アステカあたりの神話の想像力か、子どもや精神病患者の力強い想像力か。
  • アンス・アルトゥング『T 1963-E 2』:透明感のある深海のような青の上に、軽やかな筆致で縦に何本も引かれた淡い黄色の曲線の線描。今回の展覧会で一番好きな絵かもしれない。
  • オットー・シュタイナート『片足通行人』:上から捉えた街路上に片方だけの靴、その上に黒い霧のようにもみ消された人の空白。いい写真だがどうやって撮ったんだろう。

Chapter5:ポップ・アートと日常のリアリティ

  • リチャード・エステス『食料品店』:スーパー・リアリズム。写真のように精緻に書かれた食品店兼レストランの店先。ポップ・アートとミニマリズムの哲学を内包。

Chapter6:前衛芸術の諸相——1960年代を中心に

  • ケネス・ノーランド『プロヴァンス』:マットな質感で描かれた4つの同心円。中心から赤、緑、黄、青。もっとも外側の青は若干の透明感と波のうねりを感じさせ、湖や海を連想させる。シンプルでかっこいいコンポジション。
  • ルーチョ・フォンタナ『空間概念、期待』:淡い緑色の布状の物に、縦に三本カッターを入れて、奥が垣間見えるようになっている。
  • オットーピーネ『炎(白の上の赤と黒)』:コロナやプロミネンスが見て取れ、黒い太陽を思わせる。

Chapter7:拡張する美術——1970年代から今日まで

  • ペーター・ヘルマン『ロト(燃えるドレスデン)』:禍々しい戦火の街。頭部が中世の大砲のようになった人。チェンソーマンっぽい。
  • マルセル・オーデンバハ『映像の映像を撮る』:住宅の車庫の白い扉(電動開閉式)に映像を投影する。ときおり「いや、オレ車庫の扉だから」という感じで車庫の扉がグイーンと開きはじめて映像が消え、しばらくすると「わかってくれてるならいいけど」という感じでふたたび車庫の扉が閉まって映像が投影される。

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